労働契約法案は労働者に何をもたらすか 070320 弁護士 永嶋靖久 3月13日、労働契約法案が国会に上程された。 これまで、労働者の団結権について定める労働組合法と労働条件の最低基準を定める労働基 準法が、日本における労働に関係する法律の、二つの大きな柱だった。これまで労働契約法と いう法律はなかった。 労働契約法案はどんな内容? この法案の目的は「労働者及び使用者の自主、的な交渉の下で、労働契約が合意により成立 し、又は変更されるという合意の原則及び労働契約と就業規則との関係等を定めることにより、 合理的な労働条件の決定又は変更が円滑に行われるようにすることを通じて、労働者の保護を 図りつつ、個別の労働関係の安定に資すること」である(法案第1条)。 この法案では、使用者が就業規則を変更しただけで、その変更が合理的と認められれば、労 働契約で決めた労働条件が一方的に変更されてしまう(第10条)。誰にとっての合理性か? なぜ使用者だけが一方的に契約内容を変更できるのか?(同じような結論を認める最高裁判例 はあるが、判例も労働契約自体が変更されるとは明言しない)。 解雇の金銭解決制度はどうなる? 厚労省は、昨年まで、解雇の金銭解決制度(金銭と引換の解雇を許す判決を可能にする制度。 裁判所は労働審判ではこのような審判もありうるという見解)や、過半数組合がある場合には 過半数組合が変更に合意しただけで、過半数組合がない場合は労働者代表と合意しただけで、 就業規則の変更を合理的と推定する規定を法案に盛り込むことを提案していた。これは、今回 上程された法案には盛り込まれていない。 しかし、この20年間、労働法制の改悪は、一貫して、「小さく産んで大きく育てる」手法 だった。労働基準法の88年(3ヶ月単位の変形労働時間制・フレックスタイム制・裁量労働 制導入)、98年(1年単位の変形労働時間制・裁量労働制の拡大・有期契約範囲の拡大)、0 3年(有期契約を原則3年・裁量労働制拡大)の改正、労働者派遣法の85年(例外的に認め る方式での制定)、99年(原則として認める方式への転換・許可等の手続等の簡素化)、03 年(製造業解禁・派遣期間延長)の制定・改正、職業安定法の99年(民間有料職業紹介事業 の原則自由化)、03年(許可・届出手続の簡素化、職業紹介業と料理店業・飲食店業・質屋 業・貸金業等との兼業禁止の撤廃)の改正等々。自公政府には、共謀罪の成立のため民主党案 さえ平気で丸飲みした、という前歴まである。 「2006年日米投資イニシアチブ」の中で、ホワイトカラーエグゼンプション制度の導入 などと並んで、米国政府は、解雇の金銭解決制度の導入を要請し、日本政府は、検討を行って いく方針を明らかにしている。 いったん、法案が成立すれば、解雇の金銭解決制度など、さらなる改悪への大きな突破口が 開かれることになるだろう。 労働基準法から労働契約法案に移行することの法律的意味は? 労働契約法案には、現行労働基準法と全く同じ条文が一つある。「解雇は、客観的に合理的 な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、 無効とする。」である。この、現行労働基準法18条の2が削除され、全く同じ文章のまま労 働契約法16条に移る。 労働基準監督官による監督は、労働基準法に法的根拠がある。労働契約法案にはこのような 指導監督はない。昨年12月の労政審最終答申は、「労働契約法に関する国の役割は、同法の 周知を行うことにとどめ、同法について労働基準監督官による監督指導を行うものではない」 と明記している。労働基準法から労働契約法に移れば、労働基準監督官による監督指導から外 れる(ちなみに、労基法18条の2に基づいて解雇の効力を争う場合は、そもそも労基法の申 告の対象ではないとする厚生労働省労働基準局長通知が以前から存在していた)。 「過労死は自己管理の問題だ」と言い放った奥谷禮子(労働契約法案を審議した労政審労働 条件分科会委員)は、その言葉に続けて「労働基準監督署も不要です。個別企業の労使が契約 で決めていけばいいこと。『残業が多すぎる、不当だ』と思えば、労働者が訴えれば民法で済 むことじゃないですか。」と発言している(東洋経済1月13日号)。 いったん、法案が成立すれば、労働条件についての規制を労働基準法から労働契約法案に移 行させて、監督指導の対象から外してしまう手法が可能になる。 労働契約法案+共謀罪=? 1802年、イギリスで「工場法」が制定され、こどもの労働時間が12時間に規制された。 労働者の保護のため、国家が労働条件を規制する法律はここから始まった。1833年には、 工場への立入や規則の制定権限を持つ工場監督官制度が出来た。これによって、工場法が実効 性を持つようになった。日本の労働基準法と労働基準監督官は工場法と工場監督官の現代日本 版だ。 1800年、イギリスで制定された団結禁止法(賃上げやストライキの共謀を犯罪とした) に始まる弾圧を、世界中の労働運動がはねのけて、労働組合を法的に保護する労働組合法を作 らせるに至るまでの歴史は、こどもの労働時間がどんどん短くなり、最終的にはこどもの労働 自体が禁止され、大人の労働時間も1日8時間になるというように、労働運動が労働者保護法 による規制の範囲を広げ、強めようとしてきた歴史に重なる。 ではなぜ、労働組合は、労働者保護法による規制を広げ、強めようとしてきたのか。 昔、労働者が熟練労働者だけだった時代は、自分たちだけの団結で自分たちの労働条件を守 ることができた。しかし、資本主義が発達し、膨大な不熟練労働者や女性労働者が登場すると、 彼・彼女らは組織労働者の労働条件の沈め石になった。労働組合に結集する労働者は、より大 きな団結を目指すことで、資本に対抗したが、未組織労働者の存在をゼロにすることはできな い。労働条件を国家権力によって直接規制させることで、未組織労働者の労働条件を守り、同 時に、組織労働者にとっての沈め石をなくしてきたのだ。 しかし、労働時間短縮の200年の流れに、最近20年間、世界中で逆流が生じた。日本で も同じだ。ここで、監督指導の対象から外される労働条件が次々と生まれれば、未組織労働者 の労働条件はいっそう規制の埒外に追いやられ、組織労働者の労働条件も沈め石によって大き く後戻りする。労働組合の団結は大きく無力化されるだろう(すでに組織率は20%を割って いる)。そして、今国会には、現代の団結禁止法=共謀罪がある。 自公政府の下、教育基本法改悪はあっという間に成立し、今国会では改憲手続法案の成立が 狙われている。10度の国会を経ても成立しなかった共謀罪を、自民党は、従来の法務省・外 務省の見解に真っ向から反する修正案をひねり出してでも、成立させようとしている(自民党 政調法務部会「条約刑法検討に関する小委員会」が修正案要綱を2月27日発表)。 労働契約法案を成立させた後に、解雇の金銭解決制度を導入するとか、労働条件を次々と労 基署の指導監督から外してしまうとか、共謀罪とセットで労働組合の団結を無力にしようとす るとか、どれも、労働契約法案の中に書いてあるわけではない。しかし、今のような情勢で、 このような危険を誰が否定できるだろうか。 労働条件への国家的規制が縮小し、労働組合は無力化し、そして使用者は労働条件を一方的 に変更する。労働契約法案がそのような道を切り開いてしまうことを誰が否定できるだろうか。